<CROATIA・SLOVENIA・BOSNIA and HERZEGOVINA>                <2013.4月>

    <成田→フランクフルト→オーストリア・グラーツ→クロアチア・ブレッドへ> 
    <ブレッド / ポストイナ鍾乳洞> 
    <クルカ国立公園 / トロギール> 
    <スプリット / モスタル> 
    <ドブロヴニク > 
    <プリトヴィッツ> 
    <帰国> 

     

クロアチア・クルカ国立公園/動画 ← 画面中央の矢印をクリックしてください



 《 成田→フランクフルト→オーストリア・グラーツ→クロアチア・ブレッドへ 》

 バルカン半島とは "岩山の半島"の意味だそうだ。それほど岩や石がゴロゴロとしている。特に今回訪れたクロ
 アチアの南部は、山も平野も石が多くて植物がまともに育っていない痩せ地ばかりだった。
 
 バルカン諸国は旧ユーゴスラビア(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セ
 ルビア、マケドニア)の他にルーマニア、ブルガリア、アルバニア、ギリシャ、トルコのボスフォラス海峡の
 西側の一部も含んだ地域を言い、面積は76万uで7000万人が住んでいる。(ルーマニアやブルガリアは含まな
 いとする場合もある)

 今回観光したのはその北西の一部だったが、オーストリアのグラーツ空港からスロベニア→クロアチア→ボス
 ニア・ヘルツェゴビナとバスで走った距離は2千kmにも及んだ。

 
 (Belle Nature社のHPより)


 
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《 成田→フランクフルト→グラーツ 》 

 成田発フランクフルト行の飛行機はルフトハンザのエアバスA380-800である。この世界最大の旅客機は全長73m
 横幅79.8m、垂直尾翼の高さは24mで8階建のビルの高さに匹敵する巨大さであり、853人もの乗客を飲み込んで
 しまう巨大機である。この56トン(離陸時最大重量)もの巨体が轟音を発して離陸し、着陸する時は緊張する。
 

 


 エコニミーの機内食                        機内サービス、完璧な日本語を使う乗務員。
  


 総二階建てで階段が前後にある。                  飛行ルートは北回りである。飛行時間11時間45分。
  


 モニターにアニメの飛行機が映る。                 フランクフルト空港はルフトハンザのハブ空港。
  




 
 ドイツ・フランクフルトでオーストリアのグラーツまでルフトハンザの小型機で向かう。
 眼下には、スイス、イタリアのアルプスの東端に位置するユリアン・アルプスの山々が見える。
 

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《 ブレッド / ポストイナ鍾乳洞 》
 最初の観光地であるスロベニアのブレッド湖。下の写真中央の小島がブレッド湖であり、ここに聖母マリア教
 会があり、手漕ぎのボートで上陸する。環境対策のためエンジン付きのボート等は禁止されている。

 今日の宿泊はこの湖岸のKRIMホテル
 
 (この写真はgoogl-earthからの借り物)




 ブレッド城と背後のトリグラフ山(2,860mでスロベニア最高峰)
  



 ブレッド島へ手漕ぎの船で渡る。
  



 聖母マリア教会                          教会内の鐘をこのロープを引いて鳴らす。
  



 この急な石段を花嫁を抱き上げて一気に駆け上がるのが、この教会での結婚式の条件とか?
 花嫁はダイエットに走り、花婿は腕力を鍛え上げる・・・。
  



 この貧相な昼食                          スミレ、クレマチスなど咲いていた。
  



 小雨に煙る島の教会
 



 ブレッド駅                            ここにも現代のSONATA車がいた。韓国車は世界に進出。
  

 同行した添乗員の渡邉さんによると、「ブレッド湖一帯は1981年に国立公園に指定された。『アルプスの瞳』
 と称されるブレッド湖の景観はオーストリア、イタリアとの国境に近いこともあり、17世紀からすでにリゾー
 ト地となっていた」なんだそうである。


 午後はポストイナ鍾乳洞へ向かう。
 この鍾乳洞は欧州最大の規模で、トロッコに乗って奥深く入って行く。
 中は撮影禁止だが、中国人、韓国人はお構いなしに盛んにフラッシュを光らせる。こちらの人には日本人と見分
 けが付かないだろう!世界各地でこうした苦々しい思いをされた日本人は多い事だろう・・・。
 
 "チャイニーズ"と好意的ではない響きで呼ばれる事があり、何度か現地ガイドが"日本人だ"と弁解する場面がある。
 中国人、韓国人のマナーの悪さはどうしてなのだろうか?かつて我々も”旅の恥の掛け捨て”をやってのだから偉
 そうなことは言えませんがネ。

  

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《 クルカ国立公園 / トロギール 》 

 オパティアのホテルに泊まる。そのバイキングの夕食。
  



  





 オパティアは背後が山、前面がアドリア海で気候温暖な地。著名人や富豪が別荘を構えている。
 



 パノラマ写真 → 画面下段のツールバーを右へ動かしスクロール下さい
 向かいの島はツレス島(Cres)。その島の遥か向こうにアドリア海150kmを隔ててイタリアがある。
 




 ここから右手にアドリア海を見ながら300km走ってクルカ国立公園へ向かう。
 高速道も一部あるが、一般道が多い。
  



 向こうはアドリア海最大のクルク島。工場も無く、人家も少なく水は澄んでいる。
 イタリアは150kmも先で見えるはずもない。
 



 パノラマ写真→右へスクロールすると画面が広がる。
 




 このデラックスバスを若いクロアチア人のマリオ君が一人で運転する。 右はトイレ休憩に立ち寄ったレストラン
 フロントガラスには日の丸が貼り付けてある。            トイレは大抵有料。
  




 途中、高い山には雪が見える。
 





 クルカ国立公園近くで昼食を摂る。
  




 これがクロアチア風ブイヤベースだそうな!サバの味噌煮       デザートのケーキ!
 のようだ!安いツアーとは言えこれにはひっくり返ったね!      器が他にないのかしらん。
  




 公園は142kuもあり、ヨットが多数係留されていた。         そのレストラン
  



  




 クルカ国立公園(KRKA)
 クルカ川とチコラ川の合流するスクラディン滝の回りを散策した。
 



  



 17段もの滝が連なって流れ落ちている。
 雪解け水が多いのだろう、水量が大層豊富であった。
 



 



  



  


 木々は芽吹いたばかりで、新緑が眩しい。
  



  


 豊富な水量を利用して発電所や水車もある。
  



 台地の上の方は、岩だらけの荒涼とした風景だったが、水の豊富なこの低地では樹木も茂っている。
 



  



<滝の動画>




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  トロギールへ向かう。途中ビューポイントで写真を撮る。
  
  この島はプリモシュテンで、Wikipediaによると「1542年にオスマン帝国に占領されていた当時小島は防壁に
  よって守られ、本土とは跳ね橋で結ばれていた。オスマン帝国が撤退すると土手道に置き換わり陸続きになっ
  た。1564年にこの地はクロアチア語で架けるなどを意味するプリモシュティティ(primostiti)にちなんで、
  プリモシュテンと名付けられている」と出ている。
  
  島は教会以外ごく普通の民家でたいしたことなく、こうして遠くから眺めるのが一番だと、何かに紹介されて
  いた。運転手のマルコ君の機転で、ビューポイントに停車してくれた。
  
  





 世界遺産の小さな島全体が市街地になっているトロギール。
  右手の小さな橋を渡ると東西500m、南北300mの小さな街がある。
 



 この辺りはイタリアのベネチアが統治していて、街はイタリアそのものだ。
  



 随分と背の高い現地のガイドが丁寧に説明してくれる。
      



 狭い街路を抜けると、そこはもう波止場だ。子供が遊び、ギター弾きがギターを奏でる。

   


 創建当時の門は荒々しい。
  



 聖ロヴロ大聖堂が47mの偉容を誇る。
  



 陸地側に青空市場があり、食糧品など売っている。          現地の子供がバスで下校
 干しイチジクなど購入。
  




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《 スプリット / モスタル  》 
 




 この宮殿はクロアチア出身のローマ皇帝ディオクレティアヌスが建設したもので、晩年彼はここで余生を過
 ごした。

  




  





 この宮殿はディオクレティアヌス没後荒廃したが、人が住み着くようになり、現在も住居している人がいる。
  





 中央にある高い尖塔に登ることができる。以下はその四方の写真である。
  





  




 動画<klapa / CAMBI>
 

 流れて音楽はこのグループが歌うアカペラで、彼らからCDを買ったものを取り入れて利用している。
 (諸作権違反かな?御免)


 クロアチアはネクタイ発祥の地で、この前の店ではネクタイを売っている。
 土産に2本購入。
 




 地下には創建時の遺跡が残っている。
  




 当時の金貨の拡大物とローマの水道技術で引いた水道の図。
  




 建設当時の想像図。当時は海に接していた。
 
 (Wikipedia より参照)






 スプリットを後にして、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ向かう。
 山の頂上には雪が残っている。                   運転所のマルコ君がずっと一人で運転する。  
  




 戦争の傷跡が残っているのか、今回の旅で子供の物乞いに初めて出会った。
  





 このレストランで昼食                       大きなポテトと豚肉
  


 


 現在は街は平和そうに見えた。                   イスラム教徒も多く、モスクもある。
  




 現地のガイドの説明を聞く。
  




 スタリ・モスト「古い橋」は1993年にボスニア内戦で破壊されたが、2004年に復興工事が完成した。
 2005年にはボスニア・ヘルツェゴビナ初の世界遺産として登録された。
  

 Wikipediaによると「1991年に勃発したユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きの中で、1992年3月に
 ボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。当時、同国には約430万人が住んでいたが、そのうち44%がボシュニ
 ャク人(ムスリム人)、33%がセルビア人、17%がクロアチア人と異なる民族が混在していた。ボシュニャク人
 とクロアチア人が独立を推進したのに対し、セルビア人はこれに反対し分離を目指したため、両者間の対立は
 しだいに深刻化。独立宣言の翌月には軍事衝突に発展した。

 およそ3年半以上にわたり全土で戦闘が繰り広げられた結果、死者20万、難民・避難民200万が発生したほか、
 ボシュニャク人女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争と
 なった。」とある。



 旧市街は石畳が敷き詰められている。                修復された石橋
  




 土産物を売っている。
  




 モスト(橋)の上からの眺め
  




 内戦の跡が生々しい。1984年には首都のサラボエで冬季オリンピックが開催された。
 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はその7年後に始まり、1995年まで続いた。
  




  



 パノラマ写真
 

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《 ドブロヴニク  》 

 再度国境を越えてクロアチアのドブロヴニクへ向かう145kmのドライブ。
 




 珍しく水を湛えた耕地があった。
 






 右手にアドリア海とそこに浮かぶ小島が広がる。
  







 アドリア海に沈む夕陽
 




 ドブロヴニクのホテルは海に面して快適だった。
   




  



 パノラマ写真
 



 いよいよドブロヴニクの観光だ!”
 アドリア海の真珠”と呼ばれるこの要塞は、巧みな外交により長く独立を保ってきた。
 この要塞に通じる橋
  



 高い壁によって要塞は守られていた。                 街の模型を手に守る守護神。
  



 内戦時に空爆された地点を示す図
  


 長く独立を保ってきたこの街も1667年には大地震で5000人もの死者を出した。
 地中海、イタリアそしてバルカン半島は地震が多い。アフリア大陸プレートがヨーロッパ大陸
 へ押し寄せ、火山活動(イタリア)や造山活動(アルプス)をするからだ。
  



 
  



 
  





  プラツァ通の山側には狭い路地を挟んで住宅がビッシリ並んでいる。 
   





 大通りのプラツァ通りには様々な店がある。
  





 





 オルランドの柱、物の長さを測った。
  





 中に学校があり、子供が登校して行った。              大聖堂
  





 見上げるとスルジ山の展望台が見える。ここにケーブルカーが通じている。
  





 ドブロヴニク全景
 




 





 ケーブルカーからの眺め 
  




 城壁の上を歩いて一周できる。
  




  




 城壁の通路から大通りを見下ろす。                 所々に階段がある。
  





  





 昼食のリゾット                          現地通貨50クーナ。近々ユーロに統合される。
  





 小学生の遠足か?
  




  



                                                                    ロープウエー
  





                                  城塞は崖の上に造られている。 
  
 
 



  1991年の空爆の跡。こんな場所に爆弾を落とさなくてもいいが・・・。                      
  
 




 城塞の真下は紺碧のアドリア海





                                  城塞の中に僅かな緑もある。
  




                                  瓦の上にトカゲが。
  





 大砲が海を睨んでいる。
  




 小さな教会                            城壁の下で小舟で魚釣り 
  








 遊覧船が出ている。 
  




パノラマ写真です。右にスクロール下さい。
 



 
  
  




 



 



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《 プリトヴィッツ  》 

 
 ドブロブニクを後にしてスプリット方面に帰る。
  




 途中、休憩する場所にスーパーがあり、日の丸と太極旗が掲げられていた。 山はご覧の通り岩山だ。
  




   




 クロアチアの南部では山に大きな木は育たない。
  





  プリトヴィッツ国立公園
  
 


 

 
 
  
  
  
  




 この公園は首都のザグレブ(Zagreb)とアドリア海に面するザダル(Zadar)の中間に在し、
 200平方kmの面積に16の湖を有する。
 




 最高地点1280mから最低点380mまでの標高差を、幾つもの滝と湖で織りなしている。
 




 
 




 







 これは落差78mの最大落差の滝。
 




 



 
  




 




 今年は例年になく雪解け水が多いそうで、通路にまで水が溢れだしている。
  





  





 石灰質の山から流れ出る水は神秘的なまでに澄明になり、
 




 




 





 魚や水鳥は軽やかに泳ぐ。
  




 水辺には花々がうつむき加減にひっそりと咲き、
  



 芽吹いたばかりの梢を透かして、小魚が見え隠れする。
  



 旅人は溢れるオゾンに癒され、
 




 水面に花影が揺れてゆらめく。
  




 大地を様々な花が彩り、
  




 かの地の桜は地味に咲き、若芽は柔らかい。
  




 遊覧船で湖を進めば、その奥にまた滝と湖が現れる。
  




 珍しい花が咲いていて、名前も判らない。
   




 菫は淑やかだ。






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《 成田へ 》 
 昼食は公園のすぐ傍のレストランで鱒を食べ、ビールを飲む。

 カルロヴァツを通ってオーストリアへ向かうが、ここの主要産業はビール醸造である。カルロヴァチュカ・ピ
 ヴォヴァラ(en:Karlova?ka pivovara)の製造するカルロヴァチュコ(en:Karlova?ko)ブランドである。
 ビールが体にいいという本が出た。→ビール 

  





 クロアチアも北部は岩が少なく、緑も濃くなる。 
  




 国境を越えてオーストリアに入ると土地は肥沃となる。
  




 宿り木がよくみられる                       
  




 最後のホテルはオーストリアのグラーツだった。           八重桜が満開
 ここはシュワチャン(アーノルド・シュワイツネッガー)の故郷でもある。
  



 
 グラーツの空港は小さなもので、閑散としている。
  




 フランクフルト行の飛行機も小さいものだ。
  


 成田までは遠い、機内で映画を何本か観て、少しうつらうつらしていると
 食事が2回出て、やがて新潟上空に差し掛かるともう巨体を下に向け始める。

 朝の八時前に成田に"ドシーン"と着陸して荷物を受け取り、税関を通って駐
 車場のバスに10分ほど揺られて自分の車を受け取る。そうだ!帰り道に酒々
 井のアウトレットがオープンしたんだ。少し見て回ったが買うものも、金も
 無く、なんだか眠くなってきたので、居眠り運転にならない内に家に帰って
 寝よう・・・・・。

    <終わり>



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